昭和54年月05日08日 朝の御理解



 御理解 第4節
 「此方金光大神あって、天地金乃神のおかげを受けられるようになった。此方金光大神あって、神は世に出たのである。神からも氏子からも両方からの恩人は、此方金光大神である。金光大神の言うことにそむかぬよう、よく守って信心せよ。まさかの折には、天地金乃神と言うにおよばぬ。金光大神、助けてくれと言えば、おかげを授けてやる。」

 昨日も、ここのご理解を頂いたんですけれども、昨日のおさらいをするような気持ちで頂きます。金光大神と私共との関係というのは、勿論金光大神あって、今日私共があるわけなんです。ですから結局私共と教祖金光大神というのは不離の関係にあるけです。離れられないという関係にある訳です。いうなら金光大神に同質同化していくという事が金光様のご信心なんです。
 いわゆる生神金光大神を目指すと言う事は、生神を目指すと言う事はそう言う事だと思うです。そこで私共の信心まぁ私なら私を中心にして信心。それに教祖様の本の御伝記の中にもあります様に、教祖金光大神の第一の信者は奥様であったと言われておる。奥様が金光大神のご信心に帰依され、金光大神をまぁ生神様として拝まれたと言う事です第一の信者。先日もあの日田の梅山先生が家内が頂いておるのに、先ず第一に家内子供親達が第一の信者になる様なおかげを頂かんならんと言う事を頂いておるです。
 はりゃうちの先生は口ばっかり、家の先生は実意がないという、信者にはいい事言うてから、裏ではこうだと言う様な場合なんかは、うちの主人を信用しようと思うても信用出来ない事になる訳。金光大神にいわば同質同化して行く事が出来ないわけ。どうでもだからお互いの信心が金光大神に帰依していくと言う事。その帰依が交流になるという、帰依そのものが交流と言う事になるのです。
 同質化なんです結局離れらない不離のもの、そこまでいかなければ私は金光大神の本当の有り難いという事は分からないと思う。都合が悪かならいつでも離れられると言った様なものではないわけ。昨日は総代会でまぁ色々お話しをさせて頂いたことでしたけれども、先日からあれは久留米の佐田さんの奥さんがどっからか傘を頂かれた。その傘のマークにSという字が入っておった。その傘を開いて奥さんが思われた。世の中には本当に難儀な氏子がいっぱい。
 今SOSを叫ばれておるような人達も沢山あるだろう。神様がいうならば安心のおかげを頂いて、その安心の傘下いうならばその傘の元に、沢山の人が集まって助かりを求めておられる。そういうおかげを頂かなければと思うたという話しを何か、ここで聞いたごたったか、会合の時に聞いたのかそういう話しをしておられた。そしたらそれは、確か末永先生か誰かがそれを聞いて、あのうその佐田さんの信心が素晴らしいち。確かに合楽理念の実験者と同時に実証者である。
 本当に素晴らしい実証教会、実証家庭としての信心を揃えたろうていきよる。ご一家の信心というものが。素晴らしいという話しを私聞きましたんですけれども、それを聞きながら、その末永先生が言っておることが、あれは何かの会でしたかね、会合の時にいってましたが、本当いうたらね、佐田さん一家こそ今SOSの時であると言う事である。ご主人のお商売の上に大転機が来ておる。
 ご主人の体の上にも、本当に医者にでも見せたらどんな風に言うだろうか、と思う様な実際病気がこの頃から起ったり、又は良くなったり起ったりと言った様な事が続いておった。佐田さん一家の上にこれこそ今、SOSであると思われるのに、佐田さんはそれを一つもSOSと思うておられない。それこそ富永先生じゃないけれども、一切神愛という受け止め方を、そして人が助かる事さえ出来ればというもういうなら感じ。
 自分たちが本当の実験実証をさせてもろうて、そこに安心のおかげを頂いて、その安心の傘下に沢山の人が助かられるような、おかげを頂いて貰いたいと言う事だけしかない。いつの間にそういう心の状態というものが開けてきたのか。いわゆる和賀心の世界である。自分の身に難儀というものを忘れてしもうて、忘れてしもうてというよりも、むしろその難儀を神愛として受けておられるからこそ、それが出来るんだと。ここまで行く時にです、私は思うのに、金光大神と不離の世界。
 金光大神の持っておられる心、いわゆる和賀心と、私共の心が一つになっていく世界。私そこまでというか、そのくらいの信心を頂かなければ成程、周囲のものが先ず自分自身の、家庭の者が打って一丸となって、金光大神の世界に精進する。金光大神の世界に住むことは出来ないと思う。もうとにかく限りなく私はそういう信心を、その精進を進めていかなきゃ。はぁ家のお母さんのいう事、家のお父さんのあの信心ぶりを見とったら、やっぱついていかずにはおれない、というものをもう一段進めなければならない。
 もう一段信心を本当なものにしていかなければならない。結局まだ一生懸命が足りんのだと言う事です。大抵なことは分かった。大抵なことは知っておる。また毎日日参もしよると言う程度じゃその内容が、もっと充実してこなければいけない。私共のまぁ難儀こんぱくの時代。それはもう本当に商売をしようと思や商売も出来、まぁ人並みの商才も持っておる息子が全然商売を止めてしもうて、もうそれこそ神様ごとに没頭してしまう。打ち込んでしまう。
 ですから、本当にまぁ家の生活が足るだけ位の事はしてくれりゃよいものにと、言う様な物をやはり持っておるけれども、あの一生懸命の姿に触れたらやはり、ついていかずにはおれなかったのが、私共の家庭であり、両親であったと思うのです。もう本当にあの一生懸命の姿にはね、どうであっても文句のいいようがなくなってくる。ついていかずにはおれない。そのようにして金光大神の世界というか、金光大神と不離なものに、離れられない、土台元というものが出来ていった。
 昨日は正義先生が発表しておりましたが、本当に様々なところを通らせて頂いたら、難儀ないろんな理不尽というか、そげなあんた馬鹿らしいことがあるもんですかと、例えばいうような時に家内が色々言いましたと。けれども私はそれを貫いてきたという話しをしていました。だからそれを聞きながら私は思うた。私がどういう馬鹿な目を会うておってもうちの家内はそれを言わなかった。もうそれこそ、どこまでも黙ってついてきた。そこんところが、私の家内とあんたげと違うとこのというて話したことでした。
 もし正義先生げ家内がです、なら私のような通ったら、とても私はあなたとは一緒におりは出来んというたかも知れませんよね。ちょいと馬鹿を見た、馬鹿をみると言った様な時に、いうならばあなたごたるそげなこってちいうくらいな事じゃから。けれども私はそれを貫いたと。そこが素晴らしい。けれども私の場合は、いうなら親やら家内やらが黙ってついてきたと。それはならどこにそれがあったかというと、ただとにかく一生懸命の私の姿にあったのじゃないだろうかと。
 それこそ、毒食うなら皿までまでと言った様なものが何時の間にか出来てきて、一体のものになる。いわゆる不離なものになってきた。皆さん方の場合でもね、例えば夫婦なら夫婦の間でも、どんなに愛情が子供が出来たから、もうこれで離れられんと言う風にいうけれどもです、いうならば私が通ったようなところを通った時に、ならひょっとすりゃもういうならば夫婦の縁もなかったと、いう人達も沢山ありゃせんだろうかと。私は昨日そのことをまぁ話したことでした。
 おかげを頂いて、私の家内はそれこそもう黙々として黙ってついてきた。いうならば金光大神の世界と、私共の世界とが一つになっていっておると言う事は、そう言う様なもんだと。それがそんなら大変厳しいことであったかというと、今から考えてみるとその厳しいようであって、その内容というのは、それこそ有り難いの一念であった。昨日その話しを思い出ししたことでしたけれども、とにかく私の場合には、正義先生の場合私の状態を知っておりますが。
 一緒に久保山先生なんか、まぁいつもどこにでもついてきておられましたが、本当に私がお話しをしたり、その様子をみてから大坪さん、本当に有り難い、本当に話しなさるごと有り難いとですかと言う風にいいよなさった時代が、疑わしい位にあったとき、あぁいう中にあってから有り難いという一念、その有り難い一念がいうなら、家族の者達にもそれをそう信じさせたというか、思わせたというか、離れられなかったというか、もう文句をいわせる隙がなかったという風に私は思うです。
 ですからその時分のことを思うてみて思うんですけれども、それをそれほどに難しくはなかったと言う事です。あの時分にあの時分いっぱいの有り難さがあった。この頃壮年部会の時に、加藤さんがいつも奥さんと一緒に壮年部会に見えるのに、奥さんが見えてなかった。そしたらあの体験発表をして、あの発表しておられる時に、今日は家内がちょっと調子が悪かったからついてこなかったとこう。そしてもう目が見えない。耳が聞こえられないわけですね。
 あちらのそれに商売のことに至るまでも、その自分になんでんかんでん言うて聞かせんちいうて腹かかれるそうですたい。自分が見えないから自分が聞こえないから、というてまぁいうならひがみです。そりゃもういっときそりゃ目があかんばいのちいうてから話した事じゃった。目くらには目くらの世界がある。目が見えんごとならにゃ聞こえんごとならなきゃ出来ん世界がある。二三日前でしたでしょうか。朝久富繁雄さんがお参りしておられなかった。そしたらその日は久富先生も見えなかった。
 それで家内が本当にそうですけれども、繁雄さんが休まれる時には必ずと言う事久富先生が休まれです。家内が言うのです、あの人達は話し合うとるとじゃなかろうかち。で教会の先生ば困らせようち言うごたる風な事かも知れません。そうではない結局神様のご都合だと。私に奉仕をして下さる、いうならばなら風呂なら風呂でも背中一つ流す人がない。そういう中にもう一人でお風呂に入らなければ分からない味わいがあって、まぁそげな段じゃない有り難さがあるのだと。
 だから私共が思いますのにね、いうならば目が見えないならば、目が見えないものでなからなければ、味わえない世界があるのだと。目が悪ければ耳が聞こえない世界でなからなければ、味わえない世界があるのだと。金光大神はねそういう信心を教えておられるのだと。どんな中にあってもどんな場合であっても、そこに有り難いというものを感じれれる信心。私の難儀こんぱくと言った様な時代にです、親がついてきた、家内が一言も言わずについてきた。
 そういう難儀こんぱくの中でなければとてもとても今では味わえない、味わいというものがあった、有り難いものがあったからこそ、同化していった私についてきたという風に思うのです。一生懸命の姿の中にはそのそういう中にですらも、有り難いという心の状態が開けてきた。もう自分の難儀でんなんでん忘れてしもうとる。それこそどこに病人がござる、どこに困った人があるげなと言うと、そこまでそれこそ一里でも二里でもテクテク歩いてお話しに行ったもんである。はぁ難儀なことである。
 もうそれがもう有り難うして堪えんといういうならば状態であった。佐田さんじゃないけれども、SOSと叫んでおる人達が中には随分あるだろう。そういう人達がこの傘の元に集まって来られる様な、おかげを頂く為にももっともっと、力を受けなければならんという意味の事を言われたと。それを聞いておる末永先生が、自分の家こそ大体はSOSじゃないだろうかと脇から見て。そして自分方の事は忘れてしもうとる。もう忘れてしもうちょるじゃないけれども、もうそれを即神愛として受けてある。
 そこに佐田さんの信心が素晴らしいとまぁ言う話しでありました。それがどこまで、ならすっきりとした、昨日のご理解じゃないけれども、山の水浅く流れて結ばれるである。深さはないかも知れん、どこまでの程度の信心か分からんにしてもです、例えば自分の難儀というものは難儀と感じん、すっきりするいうなら心と言うものがあると言う事。これならばやはり周囲のもの、家族の者がついてこずにはおれまいと言う風に思います。ね。ぎりぎりのところどういう中にあっても難儀を感じんですむ信心。
 難儀を難儀と感じんですむ、信心難儀を素晴らしいけれどもそこにいつも難儀を感じておる。いつも憂鬱な顔をしておる。やっとかっと信心はできよる。けれどもこれでは私はおかげに、本当のおかげに繋がらない。難儀な中にあっても、もうそれこそそういう中を通らなければ分からない、味わいを味あわせて頂く信心。味わえる信心。神様と私共が一体になれれる調和というものがです。
 今日は私はご神前で頂いたのはあじさいの花を頂いた。あじさいの花は色々な色が一つになって手まりの様になって、花の調和を保っておる花ですから、いつも調和という意味で頂くんです。神様と人間とが調和する色が少しは違う。それは人間と神様じゃから。けれどもそこに一つの色彩的に調和の取れた、別々であっても一つの花の様に丸く咲いておるという、そういう不離の別々だけれども離れらない世界。
 そこにまで至った時に、初めて此の方金光大神あって神が世に出たのである、と同時に私共がおかげを受けられるようになった、という不離のおかげの世界が開けてくると思うのです。まず皆さんの周囲家庭に一つ思うて見て下さい。ついてこないなら、まぁだまぁだ一生懸命が足らないのだ。まぁだまぁだ有り難い味わいの、味わい方がまだ浅いのだと。限りない、いわゆる金光大神へ和賀心世界への挑戦であり、金光大神への精進なのですからまぁ大変難しいことです。
 難しいことですけれども、いうならばこれでよいと言う事であっては有り難いのはそれでおしまい。ほんに親先生言われりゃ言われるとおりだと一つ思うて、今あなたがたの形の上での信心精進は、これ以上は出来んかも知れんけれども、内容を変えてもっともっと、深い有り難いもの。脇からみて難儀の中にあっても、難儀を感じさせん位な有り難いものを、願い求めての信心にならせて頂かにゃならんと思うですね。
   どうぞ。